「TEKITO」な生き方のすゝめ

2022年04月27日

学校をはじめ、今の世の中、「ちゃんと生きる」ことを強要されることが何かと多いと感じます。建前としては「個性」を大切にといいながらも、集団、社会に適合するために理不尽な○○らしさを強要され、我慢をしいられることがまだまだ多いです。

フリースクールに来る子たちは皆それぞれ個性的な魅力を持っていますが、学校、社会といった決められた枠にはまらない子が多く、学校、社会という枠に無理やりはめられたことで苦しい思いをしてきていた子もいます。

「ちゃんとしなさい」という言葉を耳にしますが、ほどほどに「ちゃんとしない」と自分自身が苦しい思いをすることがあります。「より善く生きる」ことと「ちゃんと生きる」ことは似て非なるものかもしれません。

何をもって「ちゃんとする」のか分からないのに、何も考えず、ただ集団圧力の下で「ちゃんとしなければならない」状況に置かれるのは私自身も好きではありません。

「ちゃんとする」生き方に縛られずに、ほどほどに「TEKITO」な生き方で「今を楽しく生きる」ことが今の時代に必要なことかもしれません。

ちなみに「ちゃんと」「ちゃん」は元々物がぶつかる音を表しており、「丁と」という語が語源だそうです。「丁」とは「刀などで互いに打ち合う音」を表す音で、「ちゃんと」「物を続けて打つ音」が元々の意味です。