フリースクール運営者から見た学校現場での不登校支援の現状
先日、長年フリースクールを運営してきた知人から、現在学校現場で働く中で感じていることを聞く機会がありました。
その話を聞いて、改めて考えさせられたのが、学校における不登校支援のあり方です。
もちろん、多くの先生方は子どもたちのことを真剣に考え、限られた時間の中で懸命に支援をされています。
しかしその一方で、不登校になった背景が十分に理解されないまま支援が進められてしまう場面も、少なくないようです。
保健室まで来られたことは、大きな一歩
知人が特に印象に残ったと話していたのが、保健室登校を始めた子どもへの対応でした。
不登校だった子どもが、ようやく学校へ足を運び、保健室まで来られた。
それは、周囲が思っている以上に大きな一歩です。
何日も、何週間も、時には何か月も葛藤し、「今日は行ってみよう」と勇気を振り絞って学校へ来た結果が、保健室登校なのです。
ところが、その子に対してすぐに、
「このプリントをやってみよう。」
「少しだけ教室へ行ってみない?」
「せっかく来られたんだから授業を受けてみよう。」といった声かけがされる場面を目にしたそうです。
もちろん、先生方に悪気があるわけではありません。
「少しでも前に進んでほしい」という願いからの言葉です。
しかし、その子がなぜ学校へ行けなくなったのかという背景が十分に共有されないままでは、その言葉がプレッシャーになってしまうことがあります。
「来られたこと」と「学習できること」は違う
保健室へ来られたことは、学校という場所に一歩踏み出せたということです。
しかし、それは「学習できる状態」や「教室へ戻れる状態」になったことと同じではありません。
不登校の背景には、
・人間関係への不安
・教室という空間への恐怖
・自己肯定感の低下
・発達特性による困り感
・家庭環境
・心身の疲労
など、一人ひとり異なる事情があります。
背景を理解しないまま学習や教室復帰を促してしまえば、子どもは再び「学校は安心できない場所だ」と感じてしまう可能性があります。
安心できることが、回復への第一歩
知人は、フリースクールを運営していた頃を振り返り、「来たばかりの子どもに勉強を勧めることは、ほとんどなかった」と話していました。
まずは、
・安心して過ごせること。
・誰かと話せること。
・好きなことができること。
・何もしない時間を過ごせること。
そうした時間を積み重ねる中で、子どもたちは少しずつ元気を取り戻し、「勉強してみようかな」という気持ちが自然と芽生えていくことが多かったそうです。
学ぶ意欲は、安心感があってこそ育まれるものなのです。
学校だからこその難しさ
一方で、学校には学習の保障や教室復帰への期待、出席状況など、さまざまな役割があります。
そのため先生方も、
「少しでも授業につなげたい」
「学習の遅れを取り戻してほしい」
と考えるのは、ごく自然なことです。
だからこそ、子どもの回復のペースと学校が求めるペースとの間に、どうしてもギャップが生まれてしまうことがあります。
このギャップを埋めるためには、保健室登校を「教室復帰までの通過点」と捉えるだけではなく、
「安心を取り戻すための大切な居場所」
として位置づける視点も必要なのではないでしょうか。
不登校支援で大切なのは「背景を知ること」
知人の話を聞いて、強く感じたことがあります。
それは、不登校支援とは「学校へ戻すこと」を目的にするのではなく、
「その子が学校へ行けなくなった理由を理解すること」から始まるべきではないかということです。
背景を理解しないまま行われる支援は、ときに子どもをさらに追い詰めてしまうことがあります。
一人ひとり、不登校になる理由は違います。
だからこそ、支援の方法も一人ひとり違ってよいはずです。
おわりに
今回、学校現場で働くフリースクール運営経験者の話を聞き、学校とフリースクールでは支援の考え方に違いがあることを改めて感じました。
もちろん、学校にもフリースクールにも、それぞれの役割があります。
大切なのは、どちらが正しいかを議論することではなく、子どもにとって今、何が必要なのかを一緒に考えることではないでしょうか。
保健室まで来られた子どもは、「もう学校へ戻れる子」ではなく、
「ようやく安心できる場所を見つけようとしている子」
なのかもしれません。
その小さな一歩を急がせるのではなく、その勇気を認め、安心して過ごせる時間を積み重ねていくこと。
それこそが、不登校支援の土台になるのではないかと感じています。

